どんなにわがままを言っても、どんなにダメな自分でも宇宙は見捨てない。

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人生って、ある種の実験だと思う。

どうしてこの世に生まれてきたかと言うと、地球でいろいろチャレンジしてみたかったから。

でも、いざ地球に来ると、みんな「こじんまりまとまってしまって」

死ぬ時になって

「あ~、あれもやってみればよかった」

「これもやっておけばよかった」

と思いながら死ぬらしい。

毒親とか、機能不全の家庭とか、極貧の家庭とかに生まれてきた人は、

あえて、「環境ハードル」をあげて、そこをクリアすることを望んだ人たち。

もう生まれながらにしてチャレンジャーなのだ。

人生の節目に、そこをクリアするためのしかけを仕込んでいるはずなんだけど、

地球どっぷりモードになってると、そういうポイントをスルーするか

見ないふりして通り過ぎる。

 

 

実は上記のことは、ずっと前から、自分自身の「仮説」だった。

ここにきて、

「これは仮説じゃなくて真実かも」

という気持ちが強くなってきた。

・・・・・・とそんなことを私が唐突に語っているのはどうしてかというと・・・・・

 

 

最近の私は、展開がおもしろすぎて、出会いのタイミングがおもしろすぎて、

自分が「これやりたいです~」手をあげたら、

同じようなことをしている人や、それに興味がある人、志が似ている人とどんどん引き合わされているからなのだ。

 

先日も

自分が望んでいる世界を垣間見ることができた。

 

こういう世界が存在していることがわかってわくわくした。

 

先日は、

自分が思っていたこと、感じていたことをちょっと言ってみた。

今までは

「わがままかも」

「悪く思われるかも」

と思ってちょっとがまんしていたことだった。

そしたら、

意外にも、まったく問題にもならなくて、

ああ、世界や人は本当に優しいんだな。と感じることができた。

 

自分がどんなにダメダメ人間でも、どんなにわがままなことを言っても宇宙はけして自分を見捨てない。

 

これはほんとなんだと思った。

もし、見捨てられることがあったなら、

許されないことがあったとしたら、

それはきっと、「自分が自分を見捨てていた」んだと思う。

「自分が自分を許していなかった」んだと思う。

 

実は「自分を見捨てている人」って案外多い。

「自分はこんなもんだ」

とか

「自分はこの程度だ」

って、もし思っていたとしたら、

「こんなもん」

「この程度」

の現実しかやってこない。

 

それは自分が自分に行った仕打ちでもある。

自分が自分をその程度に扱っているくせに、他人からそういう扱いを受けたら憤る人も多い。

 

それこそ、周りの人からみたら、その人のその振る舞いこそが「理不尽」だよね。

 

そして、その「自分ではなくて、相手に対して憤る理不尽さ」が実は公害であり、

他人にとっての「大迷惑」だったりするんだよね~。

 

欲しいものを「ほしい」といい

嫌なことを「いや」という。

それは全然わがままじゃなくて、

むしろ、「言いたいこと言わず、我慢してやって、それが溜まりに溜まって爆発する」

ことの方が迷惑であり、公害なのかも。

 

宇宙は限りなく優しい。

自分が信頼していれば。

 

そして、もし、「世界は全然優しくないじゃん」と思う人がいたとしたら、

自分の内側を点検してみるのがオススメです。

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